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ユナイテッド232便 機体制御不能も「奇跡の着陸」

 

航空無線 0:21 文字数 1679

【ユナイテッド232便】機体制御不能も「奇跡の着陸」

5分24分

https://44.gigafile.nu/0802-cf92fcb5a40e0ab21330af9e75eafb166

 

サムネには「油圧がない!コントロール不能の飛行機」を入れるのが良いかも。

 

画面表示

1989年7月19日、ユナイテッド航空232便

上空1万メートルで制御不能に陥る。

懸命の操縦で不時着するも機体は炎上大破するほど絶望的な状況だった。





参考サイト 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E8%88%AA%E7%A9%BA232%E4%BE%BF%E4%B8%8D%E6%99%82%E7%9D%80%E4%BA%8B%E6%95%85




画像①

 

1989年7月19日、ユナイテッド航空232便が、アメリカ合衆国アイオワ州のスー・ゲートウェイ空港に不時着するという重大事故が発生した。

 

232便は、コロラド州ステープルトン国際空港を出発し、シカゴ・オヘア国際空港を経由してペンシルベニア州フィラデルフィア国際空港へ向かう路線だ。乗客285人、乗員11人が搭乗しており、機体は機齢17年のマクドネル・ダグラスDC-10型機。総飛行時間は4万3000時間以上あり、事故を起こしたことはない機体だった。

 

画像②

 

232便は、14時09分にステープルトン国際空港を離陸し、シカゴへと向かった。ところが離陸から約1時間後の15時16分、アイオワ州上空高度1万1千メートルを飛行中に、突如思わぬ「異変」に見舞われた。

 

大きな爆発音が発生し、機体が激しく振動し始めたのだ。パイロットはエンジン計器を点検し、尾部にある第2エンジンに異常が発生したと原因を特定した。ただちにオートパイロットが解除され、機長の指示でエンジン停止時のチェックリストが開始された。

 

チェックリストの項目に、スロットル(出力)の減少、燃料の供給停止の項目があったが、どちらのレバーも動かなくなっていた。



 第2エンジンについては、異常発生から14秒で、航空機関士が防火バルブを閉じる提案をしたことにより停止することができた。

 

だが、この時コックピットでは、3系統ある油圧システムの計器がすべてゼロを指していた。すべての操縦翼面を油圧で動かす設計のDC-10型機にとって、油圧システムが使えなくなるということは、車のハンドルを動かせなくなるような状況である。つまり、「まったく舵がきかなくなる」ことを意味していた。

 

この時点で、232便はまさに「絶体絶命」の状況に陥った。機長は乗客に「エンジンの故障」とだけ伝えるが、事態は既に絶望的だった。

航空無線の翻訳



参考音源 https://www.youtube.com/watch?v=WOwbFovxlAI




0.05-0:26




C: 機長

D: 訓練教官

F: 副操縦士

 

画像③

 

C: Left turn, left turn, close off the throttles

  左に旋回!左に旋回!スロットルを絞れ!

 

F: Close them off

    絞れ!

 

C: Left turn.

    左に旋回

 

F: Pull them all off.

 操縦桿を引け!

 

D: Nah  I can’t pull them off or You’re gonna lose it, that’s what’s turning Ya.

    だめだ、引いたら落ちるぞ。

 

C: OK

    了解。

 

F: Back Al!

 戻せ、アル!

 

C: Left throttle! left, left, left, left, left, left, left…..

  左スロットル!左!左!左!左!左!左!左!、、、、、

 

  Everyone stay in brace!!

  不時着に備えた姿勢をとれ!

 

  God!

  神よ!

 

画像④

 

それでも232便はエンジンの推力だけを頼りに操縦を試み、燃料投棄などの緊急対応をしながら、管制官の指示を受けてアイオワ州スーシティの空港を目指した。

機体は右旋回しかできない状態だった。そのため、管制官から指示された滑走路とは違う滑走路への着陸を選択し、通常よりも100キロほど速いスピードでそのまま着陸態勢に入る。

コックピットでは懸命の操縦が続けられ、機体は滑走路の末端、センターラインのやや左側に着地する。しかし着地とほぼ同時に機首が下がり、右主翼の翼端が地面に接触し、続いて右エンジンと右主脚が接地した。右エンジンは接地してすぐ爆発炎上。機体は滑走路を外れて右側に横滑りし、右主翼と機体尾部が分離。残りの機体も火の車のように横転しながら分断され、炎上しつつ別の滑走路を横切ってようやく停止した。裏返しになった胴体中央部は、着地点から約1キロメートル離れたトウモロコシ畑でやっと停止するにいたり、機体は衝撃と火災で大破した。

事故調査の結果、油圧系統が故障した原因は、ファン・ディスクの原料に使われたチタン合金にハードアルファという窒化物が混入していたことにより疲労亀裂が早期化しディスクの破砕に至ったため、と結論づけられた。

この事故では、乗員乗客296名中112名が犠牲となった。機体の制御を失うという状況にも関わらず生存者がいたことは、奇跡的といえる状況だった。

画像⑤

事故後に行われたフライトシミュレーターでの追試験では、油圧系統が完全に機能喪失した状況で機体を安全に着陸させることは困難という結論が出された。事故調査報告書は、「あのような状況下で乗員が示した能力は高く称賛に値し、合理的に期待できる範囲をはるかに超える」と記した。また、この事故は、あらゆる情報やアイデアを有効活用してチームの総合力を発揮する「クルー・リソース・マネジメント」の成功例として知られることになる。

 

絶望的な状況の中、184人が生還できたことは航空界を驚かせた。この不時着は「奇跡の着陸」と呼ばれ、ヘインズ機長他乗員4名は、航空界で最も栄誉ある「ポラリス賞」を受賞した。のちに話題となった航空映画『ハドソン川の奇跡』に匹敵するこの奇跡の着陸は、航空業界では「アイオワの奇跡」と呼ばれている。

 

YouTube 概要欄

上空1万メートルで油圧系統のすべてが故障し機体の制御を失ったユナイテッド232便が不時着を決断。機体が炎上大破したにも関わらず多くの乗客が助かり、「アイオワの奇跡」と呼ばれています。

 

画像① https://www.britannica.com/topic/United-Airlines




画像② https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E8%88%AA%E7%A9%BA232%E4%BE%BF%E4%B8%8D%E6%99%82%E7%9D%80%E4%BA%8B%E6%95%85




画像③ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E8%88%AA%E7%A9%BA232%E4%BE%BF%E4%B8%8D%E6%99%82%E7%9D%80%E4%BA%8B%E6%95%85




画像④ https://www.reddit.com/r/CatastrophicFailure/comments/71zhlw/the_crash_of_united_airlines_flight_232_analysis/




画像⑤ https://kdvr.com/news/local/al-haynes-captain-of-united-flight-232-dies-at-87/