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飛行機の名付け親は誰?歴史とともにご紹介

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今回は飛行機の名付け親と言われる文豪についてご紹介します。

 

飛行機という言葉の名付け親が誰かご存じですか?

 

諸説ありますが、『舞姫(まいひめ)』や『高瀬舟(たかせぶね)』などを世に残した文豪、森鴎外が、日記『小倉日記(こくらにっき)』の中で「飛行機の沿革を説く」と記しているのが、知られている中で最古の使用例であることが航空史家の調査でわかりました。

 

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これ以前に「飛行機」と記載されている文献がないため、森鴎外が名付け親ではないかといわれています。ライト兄弟が有人動力飛行に成功したのは1903年のこと。

森鴎外の『小倉日記』は1901年の作品ですから、ライト兄弟による有人飛行よりも2年早いことになります。

 

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軍医になってドイツに留学した森鴎外は、飛行機の開発にも関心を強め、国産機開発の動きに関わったこともあったそうです。かなりの飛行機通だったんですね。

 

また、森鴎外の娘の森茉莉(もりまり)さんは「父の訳した『飛行機』という戯曲がある」と語っています。森鴎外訳『人の一生 飛行機』の出版は1911年、森茉莉8歳の時でした。

これが飛行機という言葉の使い始めだったのでしょうか。原作はドイツ語で書かれたものだったようで、ドイツ語の das flugzeug 飛行+もの(道具)を飛行機と訳したのだと思われます。英語では an airplaneですから、もし英語に由来していたなら「飛行機」とは別の訳語になっていた可能性もありますね。

 

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ちなみに、飛行機開発の動きが日本に紹介された明治中期には、「飛行器」などと訳されていたそうです。誰が「飛行機」と最初に訳したかはっきりしないものの、定着させたのは、1909年に国が設けた「臨時軍用気球研究会」とされてきました。



森鴎外が名付け親であるということは、航空史家の村岡正明さんが日本航空協会の季刊誌『航空と文化』で、『小倉日記』の1901年3月1日付にある「飛行機の沿革を説く」とあるのが初出であると発表しています。これは、飛行する機械をつくりたいと訪ねて来た青年発明家・矢頭(やず)良一に、留学時代に知った開発の歩みについて熱っぽく語ったことを記した部分です。

 

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「飛行機」は、英語ではエアプレーン(空の板)ですが、ドイツ語ではフルークツォイク(飛行道具)です。前述の航空史家、村岡さんは森鴎外が造詣の深いドイツ語を念頭に訳したとみています。この時代には「空中翔機械」「飛空機」「浮空機」などいろいろな訳語が登場していますが、「代表的知識人だった森鴎外の訳だからこそ、『飛行機』が定着したのでは」といわれています。

 

有名な文豪が飛行機の名付け親というのはちょっと意外ですね。

 

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飛行機の名付け親は意外にもあの有名な文豪? 「飛行機」という言葉が登場した背景をご紹介します。







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